制度・組織の沿革と釣り人団体・指導員制度経緯

          制度・組織の沿革と釣り人団体・指導員制度の経
                             平成28年4月 JOFI愛知前代表・現顧問 大田豊明

 愛知県釣りインストラクター連絡機構は平成9年に誕生しました。愛知県での組織化がJOFIの先駆けとなり全国に広がることとなった。なお、JOFI愛知を語る前に母体である国認定の釣り人の団体「一般社団法人全日本釣り団体協議会(全釣り協)」の設立に関わった先人の想いと行動に触れたい。
 今や関係者の多くは故人になられた。私の釣りの師は、全釣り協生みの親の小西和人氏であり、育ての親の鴨谷計幸氏である。若いころから両師の持論・行動を見聞きさせていただいた。お二人は共に新聞記者で、ことに鴨谷氏は釣り指導員制度を最初に広島県で誕生させ、やがてこの制度が公認釣りインストラクター制度へと継承された。
 釣り人の団体が産声をあげるのは、昭和44年全釣り協の前身となる西日本釣り団体協議会からである。当時、水産庁の「海面遊漁対策基本調査」に対する「海は誰のものか…?」という釣り人の抗議行動がきっかけである。中心メンバーは全関西磯連(会長三木武夫)、全日本サーフ(会長小西和人)で、それまで政治と無縁で成長してきた釣界が初めて抗議の声を発するため、大同団結したのである。その頃釣り人は、数では漁業者に勝るものの烏合の衆に過ぎなかった。法律上、「非漁民」とされ、漁業者団体と同じ土俵でモノの言える環境すらなかった時代であった。水産振興が国の施策という状況下で、増え続ける釣り人は漁業者にとって扱いにくく、できれば退けたいというのが当時者の本音であったであろう。その現況を憂い、釣り人の正当な権利を主張し、漁業者団体と対等に話のできる団体を作り、一方で釣り人にモラルやマナーの指導を行うことが全釣り協旗揚げの主旨であった。全釣り協の活動によって、釣り人の立場は「非漁民」から「遊漁者」へと改められ、初めて法律上の地位を得た。現在では、水産庁に「釣り人課」「釣り人専門官」も設置され、全釣り協の存在意義と活動の成果は非常に大きい。現在、釣り場や環境の改善などを目指して活動を続ける唯一の公的な釣り人団体と言えよう。

 次に釣りインストラクター制度(釣り指導員)の経緯について述べる。前述の鴨谷氏は早くから釣り指導員制度の必要性を認識し、やがて本制度の生みの親となったのである。
同氏は広島県釣り団体協議会の長として行政と協議を重ね、昭和58年、全国で初めて遊漁指導員制度を広島県で発足させた。有志の釣り人を集め、漁業法や県の調整規則、自然環境、魚貝類の所属権などの研修を行い、履修した者に「遊漁指導員証」を交付した。指導員は釣り場でのルールやマナーなどの指導を行い、私も本制度の一期生として現場に参加したものであった。このような活動はやがて全釣り協の事業として引き継がれ、国の指導を受けながら平成4年「公認釣りインストラクター制度」が誕生した。その後、有資格者の増加に伴い、各地で組織化(釣りインストラクター連絡機構)が図られ、地域に根ざした活動へと発展していった。

 全釣り協やJOFIはただの釣り好きの集まりや釣りクラブではない。組織にはそれぞれに理念がある。それを「志」と言うならば、私は本県出身で「日本教育の父」と呼ばれる森信三氏の言葉を引用したい。「およそ志というものは、少なくとも世のため人のためというところがなくてはならぬ」と説く。JOFI愛知は創立時に二つの理念を掲げた。一つは「釣りを通じて社会貢献」、もう一つが「楽しい釣りをいつまでも」である。
現在、釣りの指導、釣り技術の伝承、安全指導と講習、稚魚の放流、自然環境の保全、ルールやマナーの指導、行政を始め、関係各団体との交流と調整及び釣り文化事業の情報発信などに活動の主眼を置き、釣り人の地位向上にも貢献している。
 JOFI愛知には、なお誇れる会員がいる。金森直治代表顧問(釣り関係コラムニストで俳人・郭公同人、日本釣りジャーナリスト協議会FJC賞受賞)と、上野隆二学術顧問(三重大学名誉教授で水産学専門、日本水産学会賞並びに日本魚病学会賞受賞)のお二人であり、専門分野はもとより、広く助言並びに指導いただいている。

 最後に釣りに関する私たちの方針や活動に賛同し、一緒に行動したいという方はぜひ公認釣りインストラクター講習会と試験(毎年開催)に挑戦していただきたい。
釣りを通じて共に学び、楽しみ、社会に役立つ活動を始めてみませんか。みなさまのご参加をお待ちしています。